病気・離婚・シングルマザーを経て

病気・離婚・シングルマザーを経て

 

人生って、山あり谷ありっていいますよね。

私の人生も、あまり一言ではいいあらわせないような流れですすんできました。

このさきの、おそらく長い人生もまだまだいろんな山や谷に出会うのだと思います。

それでも、今までの人生を少し振り返ってみることにしますね。

痛い話しが苦手な人は、病気の部分は飛ばしてくださいね。

けっこう見た目に関するヘビーな話しが入っています。

とても長いですがよろしければおつきあいくださいね。

 

 

目次

病気になってわかったこと

20歳で、子宮が腹膜炎によって化膿し、卵管が破裂してしまった私。

いきなり「バンッ」をいう音とともに、たくさんの血が体から出ていきました。

そのまま病院へ搬送され、

出血と、驚きと、パニックで貧血を起こして、意識を失いました。

そして手術。

術後の経過は良かったはずなのに、

私の体は、今までにない、そして喜ばしくない変化を起こし始めました。

 

手術のあと、数カ月後から急に全身が火傷のように真っ赤になり、

皮膚がドロリととけるのです。

それも一箇所でなく、ある日から一斉に全身が。

皮膚がないと当たり前だけど痛いし、染みます。

まともな皮膚が手のひらと、足の裏しかなくなりました。

原因がわからず、急いでセカンドオピニオンへ。

その時は、「すぐに何かの薬で治るだろう」と思っていました。

 

原因不明の皮膚病に

 

治ると思っていた皮膚の症状。

治る気配がありません。

いや、正しく言えば、悪化しているように見えます。

クスリを塗っても効くのは数日だけ。

でも効かなくなると、前回よりも悪くなっている気がするんです。

どんどんクスリの強さを上げていきました。

そのたびに数日は治った気がする。

でもまたすぐに全身大やけどのようにもとに戻る、の繰り返し。

いつの間にか、塗り薬だけではなく、飲み薬も飲むようになっていました。

ついにある日の夜、クスリを飲んでも効かなくなり耐えられない痛みに。

そうしてまた救急搬送されます。

病院のお医者さんには、「もうこれは点滴しかありません」と言われましたが、

手術をした病院とは別の病院へ行ったので、初診ということと、子宮の病気をしていることで

念のため妊娠検査をした結果

なんと妊娠が発覚。いったん処置はとりやめて家に帰ることにしました。

 

妊娠と病気

家に帰って、いろんなことを考えました。

体は大変な事になっている。今すぐにでもどうにかしたい。でも今、妊娠している。私は一度子宮の手術をしているから、妊娠の可能性は人よりも低いはず。クスリが胎児にどんな影響を及ぼすかわからない。いや、それよりもこんな体で私はまともに出産ができるのか。育児ができるのか。そもそも生きていけるのか。カラダが痛い。点滴をして楽になりたい。でもいつか、点滴もきかなくなったら?その時はどうすればいいんだろう?

 

色んなことを考えた結果選んだ答えが

投薬をやめる。そして子供を産む。

という選択肢でした。

 

今考えても随分と勇気のある選択をしたと思います。

カラダのことにまったく無頓着だった私。

保健体育の勉強なんて、きちんとしてきませんでした。

医学の知識もなにもなく、

「自分の免疫で、必ず病気を治してやる。そして子供も、ぜったいに産む。」

という決断をして、

その日から、重症皮膚病の妊婦としての生活がスタートしました。

 

治らない病気

自分で治す!

と決意したのはいいけれど、まずそもそもなんの病気かもわかりませんでした。

症状はわかるけど、原因がわからない。

ネットで調べてみても、情報がたくさんあって取捨選択ができない。

クスリをやめた瞬間から、皮膚の症状は一気に悪化。

最初に発症したときよりもすごいことになっていきます。

最初の2週間は起き上がれなくなりました。

背中の皮膚が無いので、Tシャツの素材がこすれるのが痛くて、

裸で寝るとシーツが背中に張り付く。

自律神経がおかしくなったのか、寒気と滝のような発汗を繰り返す。

眠いのに痛みでねれない。起きたいのに起き上がれない。

ぼーっとしたまま痛みに耐えて、

ただただ、倒れていました。

二週間お風呂にも入れず、トイレにいくのも大変でした。

そうしてなんとなく時間がすぎるのを待つ日々。

携帯を片手に(当時はまだガラケーでした)、ひたすら「カラダ」について調べます。

ちなみに2週間が過ぎたころ、洗面台の鏡にうつるバケモノのような自分が嫌で

鏡を叩き割りました。

お化粧が好きで、髪を染めたり巻いたりするのも好きだった私は、家中の鏡を割って捨てました。

 

病名発覚

最初のひどい状態が過ぎ去り、3週間すぎた辺りからなんとなく自分の病気がわかってきました。

 

これはもしかして、「アレルギー」なんじゃないかしら?

2週間すぎた辺りから、急に痛みにまさる痒みが襲ってくるようになりました。

それも何時間もかきむしるぐらいの強烈なかゆみ。

おかしいでしょう?

皮膚がなくて体中激痛のはずなのに。

私は自分のカラダを壊すようにかきむしります。

” かゆみ 皮膚 アレルギー ”

で検索すると、私と同じような症状の方がたくさんBlogを書いていました。

そこで出会った、「重度のアトピー」という言葉。

私はいつの間にか重度のアトピーになっていたんです。

でもまさか。アトピーは昔あったけど。大人になってからはなんとも無かったし。

そう疑ってもしかたなかったので、全身に包帯を巻いて、マスクでひどい顔を隠して

近所の病院に生きました。

そしてアレルギー検査をお願いして、出てきた結果は

しっかりとアレルギー数値が人の数倍。(具体的な数字は気になる方だけ直接聞いてくださいね)

立派なアレルギー(アトピー?)との診断でした。

 

なんとなーく予測はしてても

結果を見ると、「あぁ、現実なのか」と胸になにかがガツンと響きました。

 

理由はおそらく、今になってははっきりとはわかりませんが

手術で使ったなんらかの薬品にアレルギー反応を起こして、そのまま悪化という流れなのだと思います。

強いお薬をたくさん使ったので、もう何が原因かはわからないし、すぎたことはいっても仕方ない。

ちょっと思うところもあるけど、意識なかったからしかたない!と

どうにか無理やり割り切って闘病に専念することにしました。

 

本格的に闘病開始

もうアレルギーにいいといわれるものはなんでも取り入れた生活です。

食べ物、サプリ、飲み物、鍼灸、家具、衣類、洗剤、断食、マッサージ、運動、入浴、睡眠法、瞑想…

なんでもやったと思います。

時間と体力気力、それとお金の許す限り、なんにでも挑戦しました。

 

自傷行為なんじゃないか?とおもわれるようなことも、

公にはかけないようなことも色々としてみました。

 

おしゃれをして人にあったり、出歩くのが好きで、買い物が好きだった私。

そんなものどこかに消えてしまいました。

誰にもあわず、ベッドの上で夢中で情報を探して、

ひたすらトライアンドエラーと、ABテストを繰り返す日々。

1番気にしたのはやっぱり食事。

お陰でアミノ酸群にはすっかり詳しくなりました。

闘病の期間は、カラダのことばかりを考えて、そしてとても注意深く観察するようになりました。

 

元旦那さんとの思い出

そんな状態の中、考えすぎてネガティブになることも、

自分自身や他人にフラストレーションをぶつけることも、

病気や、クスリを恨むこともありました。

もうやめちゃおうかな、と思ったこともたくさんありました。

毎日、「きっといつか、治るはず」という気持ちと、

「もう無理だよ。つらいからやめちゃおうよ。」という気持ちの間で私のココロは揺れていました。

そしてそんな毎日の中で、

私がどうにか生活できていた理由の中に、元旦那さんからの言葉がありました。

元旦那さんは、あまり見た目に頓着するタイプの人ではなくて

私がまったく家事ができないときも、

「まぁしょうがないんじゃない?病気だし」

というタイプの人でした。当時お互い23歳と20歳。

幼い夫婦だったと思います。

病気でメンタルが下降気味になって、アレルギーのかゆみ発作もひどくて、

私が爆発した時に元旦那さんが

「大丈夫、まきはずっと可愛いよ」

といってくれたんですね。

目からウロコがぼろぼろ落ちました。

その言葉にいろんなものが救われて、なにかが大きく変わって、ココロがとても楽になる体験をしました。

ココロが楽になると、一気に物事って変わるんですよね。

本人は覚えてるのかな?私は多分一生忘れないんだけど。今も感謝してるし、今後も感謝し続けると思います。

 

奇跡が起きた

闘病から3ヶ月たったある日

いきなり症状が軽くなりだしました。

真っ赤に炎症していた皮膚の色が白くなり、傷がふさがり、かゆみがへって、新しい皮膚ができました。

「治った!奇跡だ!」

そして快適な日々を手に入れました。

かゆみと痛みがある間、気がそれるので何にも集中できないのがとても辛かったけど

一つのことをできる。

そして必要以上にカラダに意識が向かないと、とても気持ちが楽でした。

快適だ!健康ってすばらしい!

その時私は妊娠五ヶ月。

旅行もいける!そとにもでれる!

そして快適なまま、出産へ。

そうおもったのも、たった半年だけでした。

 

またもとどおりの日々へ

長男を出産して1ヶ月目。

順調に生活をしていたある日、急にまたアレルギーの症状がではじめました。

ではじめてからはとても早くて、1週間で重病状態に。

でも今回は育児も同時進行です。

自分にかけれる時間はとても少なくて、倒れてもいられません。

その時調べて思ったことは、アレルギーの治療には波があり

ひどい期間と完治期間を繰り返して、完治期間が徐々にまのびしていき、

いつの間にか治る。

という流れを繰り返す人が多いのだそうです。

私の場合もまさにそれでした。

一度治ったと思った病気の再発って、ものすごく衝撃でした。

しかし、一度カタチだけでも”完治した”経験は、大きな糧になりました。

いつか必ず、あの状態を手に入れたい。

大きな目標ができました。

そして私は完治へ向かうまでの、長い道のりを再度覚悟することになりました。

 

完治までの道のり

そこから人前にでれるようになるころには、私は26歳になっていました。

外に、自分の顔を気にせず出れるようになるのに6年。

そして体中から目立つ傷がなくなるのに、8年かかりました。

 

26歳までの間に、次男も生まれ

病気と育児のストレスから育児ノイローゼにもなりました。

まだ皮膚のトラブルから、様々な感染症にもかかりました。

 

その間に、何度も季節は過ぎていきました。

その間に次男も出産。離婚まで経験して、もしかしたらまた再発するかもしれません。

今でもカラダが痒くなることがあります。ひどく乾燥することがあります。

後遺症?でシワや傷跡がたくさんできました。

病気のために諦めたこともたくさんあります。

でも得るものも多かったなあと、振り返って思うこのごろです。

もちろん、もう一度経験しろといわれたら結構いやだなぁと思いますが

どうも絶望はしなさそうです。

あたりまえですけど、病気の根幹て不摂生なんですよね。

私の場合は特に顕著で。

私はこの病気にならなければ、もっと大変な病気にかかっていたんだと今は思っています。

人生に関わる大きな変化だったと、思っています。

あと恨んでも、呪っても、嘆いても、何も状況は改善しないということも学びました。

「誰かどうにかしてよ!!!」

といって泣きわめいたときもありますが、結局

「自分でどうにかするのが1番早い」

とうことに気付いたのは、人生の中で大きな収穫なんじゃないかなと思います。

 

もし、カラダのトラブルで大変な思いをしてる人がいたら、

なんなら過去の私が今目の前に現れたら、

向き合うのは大変だけど、かならず自分が動けばカラダは答えてくれるから

努力するのをやめないでいると結果はかならずついてくるよ。

と、伝えたいかな。

 

 

離婚をしてわかったこと

上記で登場した、元旦那さんと26歳で離婚をしました。

19歳から一緒にいて、7年のおつきあいでした。

離婚理由はここでは伏せておこうかな。

セミナーとかでは普通にしゃべってますけどね。

 

ちなみにどちらかの浮気とかでは無いです。

今でも普通に仲は良いと思います。

 

でも離婚した時は、私すごくへこんで。

もう立ち直れないんじゃないかっておもうぐらいでした。

パニック発作というものを人生で初めておこしたり、ご飯が食べれなくなったり、思考がまとまらなくていきなり泣き出したり。

すごく相手のことが好きだったんですね。

頭では、もう一緒に生活できないことはわかっているに、

気持ちはぜんぜんついてこない。

駄々をこねて泣いて暴れたいけど、そんなことしてもお互いにぜったいに幸せにはなれない。

とういうことで、

たくさん周囲に迷惑をかけながらのお別れでした。

 

離婚から立ち直るまで

離婚が決定的にきまるまでは、大変な状態になってたり、

記憶がとびとびだったりしてたぐらいなんですけど

いざ、離婚!

となったら、急に頭が働き始めました。

離婚することが決まって、書類を提出した後に、

その足で一番最初にしたことは引越し先のネットを開通することでした。

ネットがないとお仕事ができないですからね。

 

新宿の大きなモニターのある電気屋さんに行って、

鏡張りのエスカレーターを登ってPCコーナーへ行ったときに、

やっぱりなんだか泣けて来て、

「大人なのにこんな人通りの多い所で泣くのは恥ずかしい…!」

と思って慌てていたときに、男の人がティッシュをくれました。

そのティッシュをくれた男性とは、2年半後に出会って再婚することになるんですけど、

今回のおはなしでは置いておきます。

無事に泣き止んで、ネットの開通も終わって、新居へ子供と引っ越します。

 

初、新居の夜

新居での初めての夜を迎えたときに、

お布団にはいって、今後のことをかんがえました。

いままでのこと。これからのこと。もっとずっとさきの未来のこと。

疲れていたけど、頭はとても冴えていました。

私を真ん中に、右と左。

4歳と3歳のこどもたちが寝ています。

寝息を聞きながら、天井を見上げていたのを今でも鮮明に覚えています。

 

これから、私にはこの子たちのためにできることはなんだろう?

家事も、収入も、こどもといる時間も、

わたしには満足に与えることは出来ないかもしれない。

しかも、「離婚した」ということは

あたりまえだけど、私ひとりで色んなことをしていかなくてはいけない。

頭ではわかっていても、

実際にそういう環境になると現実が迫ってくるものですね。

淡々といろんなことを考えました。

ココロが急速に現実を飲み込んで、どこか他人事だった「離婚」という言葉が

いきなり姿をあらわしたみたいでした。

 

そしてそのときに、

やるべきことや、やりたいことや、してあげたいことは

それこそ星の数ほどあるけれど

それを全部叶えようとすると、現実的に挫折すると気づいたのです。

私ひとりの力では、絶対的に限界がある。とう事実に気付いた瞬間でした。

 

大きな恐怖

現実を受け入れはじめた私の中に、急にこんな思考が芽生えました。

 

自分の時間を持つことなんて、今よりもっと難しくなって、

ストレスで子供にあたって、もしかしたら危害を加えてしまうかもしれない。

 

いきなり浮かんできた思考に、文字通り恐怖で震撼しました。

私が育児をする上で考えうる最悪の事態です。

もう字面をみるだけで震えますね。

育児、というか対人関係では、何が起こるかわからないことを

私はよく知っているはずなのに

なんで “ありえないこと” と決めつけていたのかと。

 

きっと、もし私のいう最悪の事態を招いてしまった人は

小さな要因の重なりなんだと思いました。

私も、頼る人がいなかったりタイミングが重なったり

いろんな要因で、子供に危害をくわえてしまうかもしれない。

 

雷に打たれたような衝撃でした。

 

もちろん、いろんなものの積み重ねがあっても

必ずしも同じ道を辿るとは限りませんが

「こんなはずじゃなかったのに・・・。」

という切ない結末を招いてしまいかねないなと気が付きました。

私は大きな命を2つも抱えているんだから、

優先順位を決めてしっかりと動かないといけない。

離婚した日の夜の私は、そんな恐怖を感じていました。

 

私の天使達

こどもたちは、私にとって天使です。

天使の寝顔を守るため、私はこれからの生活に優先順位をつけることにしました。

 

そして私は、今後の生活の1番の優先事項に

今までも毎日してきたことだけど、ぜったいにこれが必要だ。と思ったことを選びました。

それは

「なにがあっても、必ず夕飯を子供と一緒に食べる」

 

その当時は、もっと収入のよい仕事を選んだり家事を優先した方がよかったのかもしれない。

それでも、私は子供と一緒に夕飯が食べたい。

ただのわがままなのかもしれない。

でも、何故かその時に

「わたしにとって1番大事なことはコレだ」

と確信をして決意しました。

 

このさき、社会とどう付き合おう?

私はそのとき、フリーで動いていました。イベント出演の機会が増えていたり

書いていた文章が少し知られるようになってきたころでした。

 

年齢的にも就職を今しないと今後チャンスとしては厳しいのではないか。

それともこのままフリーで生きることを選ぶのか。

 

話はちょっと戻りますが、

今も、生活の中で「夕飯を一緒に食べる」

ということは我が家の基準になっています。

仕事の関係などで、以前ほど毎日!絶対!必ず!ではなくなりましたが、

子どもたちが夕飯を一緒に食べてくれる間は、この習慣を続けようと思っています。

結婚相手のほぼ唯一の条件も「一緒においしくご飯を食べてくれる人」でした。

この夕飯を一緒に食べるという私の中の優先事項を徹底したおかげで

私は「フリーランス」として生活することを決めました。

会社に属することによって、大きなメリットが得られると思います。

でも夕飯の時間に帰れる仕事、そしてこどもが病気のときに休める仕事

自由に時間をつかっても、肩身の狭い思いをしない立場でいられるのか。

そう考えたときに、私は会社という大きな組織に属することをやめました。

 

夕飯を一緒に食べる時間を手に入れるか

それとも就職を優先するか

 

これは私にとって離婚に次ぐ、第2の大きな決断でした。

こんな未熟者な私に、ひとりで社会と向き合う度胸があるのか。

わからないけど、今は

自分の可能性にかけてみよう。

そう思った出来事でした。

 

シングルマザーの経験

シングルマザーとして、過ごした時間はちょうど3年ぐらい。

再婚したのは最近なので、実はまだ結婚生活になれていません。笑

 

シングルマザー期間は、それはそれは色々なことがありました。

そしてシングルマザーという存在がどんなものか、

身をもって知ることになりました。

 

一言でいうと、

「手が足りない」

やろうと思えば色々とできるけれど、物理的に「手が足りない」と思うことが多かったです。

 

買い物袋をもって、子供と手をつなぐ手、

料理をしながら、泣いている子供を抱っこする手、

掃除をする手、洗濯をする手、子供の持ち物に名前を書く手、ゴミ出しをする手…

 

 

これはシングルマザーではなくても、ひとりで育児をしている人が思うことなのかもしれません。

寂しさももちろんありましたが、私の場合一番感じたことは

人の手のありがたさでした。

 

友人や家族や、行政、教育関係の方の助けてくださる「手」が

とてもありがたかったです。

再婚してみて、一番最初に思ったことも

「人の「手」があるってすごい!」

という感想でした。

 

人生が一変していく

病気をして、離婚をして、そしてシングルマザーになってみて

私の人生は一変し始めました。

 

実は病気をすることも、占いでわかっていたし

離婚をすることも、占いでわかっていました。

 

でも私は信じなかったんですね。

そうなってほしくなくて。

だって悲しい気持ちはあるし、嫌じゃない。

 

だから無視して、なかったことにしようと思ったんです。

でもシングルマザーになってみて、

自分の人生に覚悟を決めて、

おそらく29歳で節目が在る。多分再婚すると思う。

という占いの鑑定結果をだしてみて、

3年間、思いっきり色んなことを勉強しよう。経験もしよう。それまで何がなんでも生き延びてみよう。

そう決めました。

 

そう決めてから、

私は運気を味方につけることができはじめたんです。

星の光が、私の方に向いてきたんですね。

 

仕事は、まぁいろいろとあっても順調。

友達が今まで以上にたくさんできる。

助けてくれる人も多くできる。

一緒に何かをする仲間もできる。

お金もなんだかどうにかなっている。

今まででは経験できなかったようなことが、どんどん出来はじめる。

 

とても不思議でした。

 

いきなり私の世界が回り始めたんです。

 

普通に聞いたら、微々たる変化なのかもしれません。

でもそれまでの時間が、ちょっと人よりも苦痛が多めだったので

私にとっては人生がガラリとかわったような感覚でした。

大きく言えば、「奇跡」が、次から次におこる。

 

 

そうして人生が上向きになって、

でもあと一歩。あと一歩で何かを抜ける。

もどかしくって、どうにかしたい。

でも自分ではうまくできない。うーん、どうしよう。

そんな時期が続きました。

 

そして、そんなときに起こったことが

”運命の相手に出会うこと”でした。

 

 

そこからもう流れるように色々なことが起きました。

恋をすることに、

こんなに大きなパワーがあるとは、我ながらとても驚いています。

変化が大きすぎて、

ほんとにこれでいいのかしら?と疑うこともあるぐらい

いろんなことが変わっていきます。

 

真っ暗で見通しの悪い沼地を歩いていたと思ったら、いつの間にかキリもモヤも晴れて

快晴の青空の中、渓流下りをしている気分です。

 

そして、今このBlogを書いています。

 

この話しのおいまいに

 

実は、シングルマザーの経験については、

まだ言葉にできないことがたくさんあります。

再婚したのが8月24日

この記事を書いているのは9月13日です。

まだ再婚して、1月たっていないので

まだ私の中で「過去」になりきれていないんだろうなぁと思います。

 

今でも、洗濯物が畳んであれば驚くし、

子供を任せて仕事にでれる休日にもなれません。

これから徐々に振り返れるようになっていければな、と思っています。

 

 

そして、

こんなに長い私の話しを読んでくださってありがとうございました。

調べて見たら9,000文字も書いていました。小論文みたいですね笑

内容の中身は、きれいな話しばかりじゃない、

というか

きれいな話しはほとんどない人生ですが、

私はどうにか楽しく生きています。

 

もし今悩みをかかえていたり、つらい気持ちがある人は、

ぜひセミナーかお店に遊びに来てくださいね。

微力ながらも、力になれるかもしれません。

山下真輝でした。

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ABOUTこの記事をかいた人

2代目占い師として育つ。 2011年より個人セッションを開始。多岐に渡って活動中。 病気・離婚・シングルマザーを経て現在は再婚。離婚当日に出会った男性と三年後の誕生日に再開。​交際期間0日で婚約から半年後に再婚。2児の母。 占術:四柱推命・姓名判断・手相・人相・家相・トランプ・タロット・易・ルーン・他